壬申の乱ー河内衛我川壬申の乱は主に、近江伊賀と大和における戦闘場に分けられると思います。今回は、大和、河内の壬申の乱を追ってその辺りを歩いてみることにしました。 JR奈良線の河内堅上を降り、大和川沿いに高井田、安堂の辺りを大和側沿いに歩いてみました。 この大和川沿いに龍田道という道があります。 壬申の乱の時はこの道を使って大和と難波を行き来したのだそうです。 当時はこの辺りでも激しい戦いがあり、多くの人々が戦死した場所でもあるそうです。 今では休みの日には多くの家族連れでにぎわっています。 お弁当を持ってくる子供ずれの親子や犬を散歩させる人たちなど、のどかな時間が流れています。 大和川というのは、昔は奈良や飛鳥と難波を結んだ交通の要所だったのだそうです。 桓武上皇、孝謙天皇の頃は奈良と難波を一泊二日でよく行き来されていたそうです。 千人くらいのお付の人を連れての大行列だったそうです。 奈良と難波の丁度、真ん中辺りが、河内のこの辺り(今の柏原)です。 大変景色も美しかったらしいので、ここに宿泊のための行宮と国分寺を建てたのだそうです。 竹原井頓宮(タカハライトングウ)といいます。 大和川沿いの桜の木に囲まれたとても美しいところです。 当時は目の前には国分寺塔が見えていたそうです。 行宮は、最近発掘されその位置が確認されました。 今のJR柏原の近くで、今は資材置き場になっています。 一度掘り返して確認し、その後また埋め立てたのだそうです。 少し残念な気がしました。 国分寺塔跡にも行って見ました。 少し小高いところになっています。 ここからだと大和川や龍田道を一望できます。 さて、国分寺神社も直ぐ近くなので行って見ることにしました。 明るい感じの落ち着いた神社です。 そういえば、今は七五三の季節です。 神社の中では七五三のお祝いをしているようです。 子供って可愛いですね。 では、今日はこの辺で続きは次回に致します。 |